2012年9月17日月曜日

豪に入っては・・・(3)

「あなたは、オーストラリアにいる間は、単なる日本人ではないんですよ。あなたは、いわば日本人を代表しているんです。あなたのふるまいから、日本人全体が評価を受けるのですよ。」

 自分をとり戻したかのように、自信に満ちた表情で、彼女はこう言った。思わず私は、踏み出した足をつっぱった。


「すみませんが、もう一度おっしゃっていただけませんか?」

 このとき、私の頭の中は、またもや混乱してしまった。

「あなたが、日本の習慣に従って、奥さんに荷物をもたせても、日本でならば誰も何とも思わないでしょう。でも、ここはオーストラリアなのですよ。私の国では、女性に荷物をもたせて平気でいる男性は、野蛮人とみなされるのです。私は、日本の習慣を知っているから必ずしもそうは思いませんが、もしあなたが奥さんに荷物をもたせて、手ぶらでいる姿をこの国の人が見たら、ほとんどの人は『日本人って、何て野蛮な国民だろう』と思うに違いありません。あなたがこの国で行うことは、たとえそれが、あなた個人のやり方であっても、日本人全体が同じことをするものだ、と受け取られるおそれがあることを忘れてはなりません。それではどうぞ、ここでの生活をエンジョイされますように・・・。ではまたお会いしましょう。」

 おばあさんは、きっぱりとこう言い放つと静かに立ち去ろうとした。
 今度は私がひきとめる番だった。私は混乱状態のまま『ともかく何かを喋らなければ』と必死になった。

「いつか、あなたが日本に来られる機会があるかもしれません。でも、あなたは、日本の習慣に従う必要はありません。あなたのご主人に荷物を全部もたせて、あなたが手ぶらでおられても『オーストラリアの女性は野蛮だ』などと思う日本人は、一人もいないでしょうから・・・。でも『オーストラリアはカカア天下の国だ』と考える人はいるかも知れませんよ。とにかく、いろいろありがとうございました。」

 『何かしゃばれなければならない』という意識から、私の口をついて出た言葉は、何の脈絡もないものとなった。
 正直に言うと、このとき私は、この婦人が話したことをの真意が判っていなかった。だから、およそ感謝の気持ちとはかけ離れた、とっさに頭に思い浮かんだ言葉をただ並べてみたにすぎない。

「ホホホホ・・・どういたしまして。では、さようなら。またお会いしましょうね。」

 彼女は余裕たっぷりだった。

「どうもありがとうございました。さようなら。」

 こう言い終わるか終わらないうちに、私は女房の手から、ショッピング・カーをひったくっていた。おばあさんは、そんな私に満足したのか、にっこり笑って、悠然と立ち去って行った。

『チクショウ。これこそ"郷"、いや豪に入っては豪に従え"か。』


及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 16-18.

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