2012年9月16日日曜日

豪に入っては・・・(2)

「あなたは、どうして、奥さんにショッピング・カーをひかせているんですか?」

 彼女は、何か、納得できないというような、けげんそうな表情で私の顔をのぞきこんだ。
『そう言えば、さっきのスーパー・マーケットでは、おとこどもが、買ったものを、せっせとダンボールの空き箱につめて、駐車場の方に運んでいたわい・・・。話にはきいていたが、こんなときでも、おとこのほうがショッピング・カーをひっぱらなきゃいけないとでも言うのかい。冗談じゃないよ。』

「私は日本人です。日本では、買いものは主婦の仕事です。今日は私が休みですし、私たちはメルボルンへ来たばかりで、女房もまだ買いものに慣れていませんから、たまたまこうしてついてきたのです。」

 私は"日本男児"として、ごく当たり前のことを言った。すると、このバアサン"待ってました"とばかりに、

「あなた方が日本人であることは、はじめから判っていました。私はまた、あなたが今言われたような日本の習慣を、よく知っています。でも、私は、そのうえで、何故あなたが荷物の世話をしようとしないのか、たずねているんです。」

 にくいことに、バアサンの話す英語は、あのききとりにくいオーストラリア英語でもなければ、お国なまりの強い難解な移民英語でもない。この国では、高等教育を受けた人にしか話せない、鮮やかなキングス・イングリッシュ(正しくはクィーンズ・イングリッシュと言うべきか)なのだ。

「私は日本人ですし、この国に永住するわけでもありません。ですから、日本の習慣に従うのは当然だと思います。」
「いえ、私はそうは思いませんわ。あなたは、今オーストラリアにいるんですから、オーストラリアの習慣に従うべきですし、その方があなたにとってもいいのではないでしょうか。」
「そうでしょうか。かりに、私の行為が他人に迷惑を及ぼしたり、オーストラリア社会の秩序を乱したりするものなら、私はあなたのおっしゃる通りにしますが、どう考えても、そんなことはないと信じます。」

 社会の秩序などというふだん使い慣れない言葉がとび出すあたり、私もかなり頭に血がのぼっていたに違いない。
『ばかばかしい。こんな陽当たりがいいところで、汗をかき、こんなおひま方のお相手なんか、していられるものか。』

 辛抱もここまでと、かたわらの女房をうながして、歩き出そうとした。

 バアサンは、そういう私を、何とも悲しそうなまなざしでみつめていた。そして、次の瞬間には、視線を伏せ、また次の瞬間には、焦点の定まらない眼で空を見上げ、まるで、神様お救いくださいと言わんばかりの表情をしてみせた。

 『芝居じみているな。』このとき、私は何故か、不思議なほどの冷静さをとりもどしていた。おばあさんの青い瞳に、絵の具のチューブをそのままなすりつけたような鮮やかさで、豊かな緑が映っているように思えた。

 この辺りは、メルボルンでも有数の住宅街。一財産築いたユダヤ人の大邸宅が建ち並んでいる。ロンドンの風景に出てきそうな煉瓦造りの重厚な家。どこかアメリカを感じさせる平べったく大きな屋根をもった開放的な家。ヨーロッパの古いお城を思わせる石造りの白い家・・・。
 とにかく、同じ造りの家は一軒もない。一軒一軒が、それぞれに顔をもち、"自己主張"している感じだ。しかも、門から、塀、犬小屋、そして郵便受けに至るまで、思い思いの色や形をしている。
 どの家にも共通しているのは、暖炉用の大きな煙突と、広い庭にある、じゅうたんを敷き詰めたような芝生、花壇に咲き乱れる色とりどりの花、家を囲む木々の緑・・・。

 バアサン、いや再びおばあさんと訂正すべきだが、彼女の美しい瞳から、一瞬、緑が消えたように思われた。彼女は、静かな口調で、ゆっくりと言った。

「あなたは、オーストラリアにいる間は、単なる日本人ではないんですよ。あなたは、いわば日本人を代表しているんです。あなたのふるまいから、日本人全体が評価を受けるのですよ。」

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 13-16.

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