2012年9月30日日曜日

オーストラリアン・ハズバンド(1)

 私のオーストラリア人の友人のほとんどは、工作室と物置とをかねたガレージを、自分の手で作っていた。古くなった家を安く手に入れて、自分一人でコツコツやりながら、見事な別荘に仕立て上げた友人も居る。庭にバーベキュー用の炉やごみの焼却炉を作ることなど、朝飯前のことだ。なかには器用にも、ビールまで作る友人もいるが、ごちそうになった印象では、残念ながら味の方はもう一つといったところだ。

 バーベキューにかけては、おれの右に出る者はいないとうそぶく友人も何人かいるが、ともかくこの国の亭主族は、信じられないほど、まめに働く。

 あのおばあさんに説教されて、仕方なしに女房の買物につき合い、やむを得ず荷物の始末をするようになった初めの頃は、やたらとみじめに感じたり、妙な悲壮感にとらわれたものだ。

 だが、この国の友人たちとつき合ううちに、そういった感情は、いつの間にか消え失せてしまった。慣れとは本当に恐ろしいものだとつくづく思う。それどころか、私のオーストラリアン・ハズバンド化は、とどまるところを知らず、ついには友人たちを見習って、自分専用のエプロンまで手に入れた。

 "日本男児"にあるまじきふるまいだが、家族ぐるみのパーティの時など、おひらきまぎわに、男の客みんなが、その家の主人を手伝って、あとかたづけや皿洗いをするのに、私一人が、ご婦人方と一緒になって飲みつづける訳にもいかない。最後の最後まで盛大に飲みまくり、楽ししそうに喋りつづけているのは、常に女たちなのだ。

 メルボルンの東六十五キロのところに、ウォバトンという保養地がある。「パラダイス・ヴァレー」とも呼ばれる盆地の町だが、肥沃な土地で、特にいちごの名産地として知られている。

 メルボルン市内を流れるヤラ川の水は褐色だが、上流のこの辺りでは、信じられないほど澄んでいて、川の中を泳ぐ魚の群れが見えるほどだ。両岸には、微妙に濃さの違う緑の木々が、うっそうと繁っている。

 親友ボブの別荘は、この街に入ってすぐのところにある。彼の別荘には「夕霧の丘」という名前がつけられている。夕方になると、必ず霧がかかることから、ボブの長男ヒューゴが名付けたものだ。降雨量が多いせいか、四方をとりかこんでいる山々には、ユーカリの原生林にまじって、松や杉が植林されており、繊細な美しさの日本の山によく似ている。

 親友ボブとその家族について、ふれておこう。彼は相性をボブ、フルネームは、ロバート・アントン・レッシェン。四十三才。弁護士で、オーストラリア・プラスチック協会の副会長だ。私の家の隣りの町(といっても、公園一つをはさんだコールフィールド市だが)に住み、市会議員をつとめている。オースストラリア連邦議会の下院議員(日本の衆議院に当たる)に立候補するよう推されている。大学時代オール・オーストラリア・ラグビー・ティームのフル・バックをつとめる花形プレイヤーであった。奥さんのジョイは、日本のPTAに当たる小学校のマザーズ・クラブの会長をつとめており、娘一人と、息子二人がいる。このうち、二男で末っ子のアントンと私の息子が同級生で、家も近いことから、私たちとの交際が始まった。


及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 20-22.

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