2012年9月30日日曜日

豪に入っては・・・(4)

『チクショウ。これこそ"郷"、いや豪に入っては豪に従え"か。』

 彼女のうしろ姿をうらめしそうに見やりながら、私は自嘲的につぶやいた。人生三十五年、こんなにみじめな気持ちになったのは、初めてだった。"事態の成り行きや如何に?"と見守っていたわが女房どのは、自他ともにものぐさをもって任ずる亭主が、突如ショッピング・カーをひっぱり出すという思いがけない結末に、とてもにわかには信じがたいという顔付で、「やはり、私がひいて行きますよ。何だか変だもの・・・。」などと言い出す始末。

『人間、一寸先は判らないもんだなぁ。まったくひでえ国にきちまったもんだ。』私は口の中でブツブツぼやきながら、ヤケになって堂々と胸を張って、ショッピング・カーをひいた。だが、このときの私のかっこうは、本人の意志とは正反対に、まことにこっけいだったに違いない。道で人とすれ違うたびに、私の背中は丸くなって行った。気恥ずかしさで、穴があったら入りたい心境だった。

 かくて、私が亭主関白の座から一気にすべり落ちることになった"夏の日のできごと"は、口惜しいけれどもおばあさんの判定勝ち、いや鮮やかなKO勝ちに終わったのだ。家に帰ってシャワーを浴びながら、ふとおばあさんの言葉を思い返したとき、とうに流れ尽きてしまったはずの汗が、今度は冷や汗となって吹き出しているのに気づいた。

「あなたのふるまいが、たとえ個人的なものであったにしても、日本人全部が同じことをするものだと、受けとられる恐れのあることを忘れてはならない。」と言ったあのおばあさんの言葉の意味が、このときになってやっと私に判ったのだ。

 日本にいるときは"オイカワ キネオ"であった私も、オーストラリアでは、"ミスター オイカワ"としてよりも"日本人"とみなされることの方が多いことを、彼女は私に教えてくれたのだ。仮に私がオーストラリアで、この国の常識に反することをしたとしたら・・・。オースツラリアに住んでいる大勢の日本人は、「非常識なことをする国民」と評価されてしまうのだ。それが、オイカワというたった一人の人間が、たまたま個人的に行ったことだけなのに・・・。

 二年余りのオーストラリアでの生活を、大過なく送れたのも、街角で出会ったあのおばあさんのアドヴァイスのおかげとだと言えよう。

 子供はともかく、相手が大人なら、自主性を尊重してめったに口出ししないのが鉄則のこの国で、行きずりの私に、あえてアドヴァイスしてくれたおばあさんに、大いに感謝しなければならない。彼女が、この国ではまだまだ少ない日本通であっただけに、私にはよけい嬉しく思えるのだ。

「本当にありがとうございました。」もう一度、この言葉を心の底から感謝をこめて言おうと、その後ずっと、彼女の姿をさがしつづけたが、残念ながら再会することはできなかった。あるいは、今日もメルボルンのどこかの街角で、行きずりの日本人をつかまえて、あの流暢なキングス・イングリッシュで「あなたは男性ですか。」と質問しているかもしれない。

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 18-20.

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