2012年9月30日日曜日

オーストラリアン・ハズバンド(2)

 ある日、ボブの別荘で、四家族が集まってバーベキュー・パーティを開くことになった。昼間のパーティ、しかも子供たちを交えてのパーティなので、四家族で十九人がボブの別荘に集まった。

 主人公のボブを中心に男性軍が、半頭分のラムをはじめ、牛肉、ソーセージなどを焼き上げるのに大活躍したことは言うまでもないが、私がここで言いたいのは、私たちがボブの別荘に到着したときのできごとである。

 前の晩、私は風邪気味だったのに、かねてからの約束だからと、この国のもの書きと無理をして飲んだのがたたったらしく、その日は二日酔いがひどかった。雲の上を歩いているというような生易しいものではなく、頭が、ズキズキガンガンしていた。

 わが家から六十キロ足らずのドライブだったが、後半は山道で、ヘアピンカーブが多く、一歩運転を誤ると、谷底へダイヴィングしかねない状態だったので、一時間半もかかった。二日酔いの身にこのドライヴはかなりこたえた。だから、高台にあるいボブの別荘が見えたときは、さすがにほっとして体中の力が抜けてしまった。

 私は、どこへ行くにも、スティール・カメラとムーヴィ・カメラ、それにテープ・レコーダーは、必ず持って行くことにしていたので、この日もクルマに積んできていた。

 他に荷物はといえば、大きなピクニック用のバスケットが一つ。この中には、わが家で用意した日本風の料理が入っている。それと、飲み物を入れたアイス・ボックス。

 本来ならば、この荷物は、男性の私が運搬すべきなのだが、この日ばかりは、ものをもつ気力さえまったく起こらず、仕方なしに、女房が二回に分けて運ぼうということになった。

 すでにボブの別荘には、車が三台停まっており、私たちが一番遅く到着したことになる。いつものように、クラクションを鳴らした。別荘の建物までの間に渓流が流れていて、三〇メートルほどの距離があるので、それが到着の合図になっているのだ。

 いつもなら、みんな揃って渓流にかかる橋まで出迎えてくれるのだが、この日ばかりは違っていた。ボブと長男のヒューゴが、鉄砲玉のように、私たちのところに飛んでくるではないか。

 しかも挨拶もそこそこに、まずボブが女房の手からバスケットとテープ・レコーダーを当然のごとく受けとり、地面においてあった残りの荷物を、ヒューゴがこれまだごく自然にさっととりあげるではないか。

 私はすっかり恥ずかしくなってしまった。やはり、女房に荷物をもたせるべきではなかったと後悔したが、あとの祭。別荘に向かって歩いて行くみんなのあとから、一人悄然とついて行ったものだ。あとでボブに謝った。

「ひどい二日酔いで、ここまでのドライヴですっかり参ってしまったので・・・。申し訳ないボブ・・・。」
「何の話だい?気にすることなんてまったくないじゃないか。」
「ボブ、参考までにきいておきたいんだけど、二日酔いで身体がしんどいときでも、やはり荷物を運ぶのは、亭主の役目かい?」
「うん、そうだよ。もっとも離婚覚悟ならば話は別だがね。着のみ着のままで追い出されるよりは、苦しくても荷物の面倒をみる方がずっといいよ。でも、ぼくも日本人に生まれていたら、もっとハッピーだったろうがね、ケン。」

 いたずらっぽくウィンクしながら、ボブはこう言った。

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 23-25.

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