2014年3月2日日曜日

不買運動 (2)

 生鮮食料品の値段を下げるようにという程度の市民運動は、実はこの国ではきわめて控えめなもので、もっともっとスケールの大きな市民運動がいくらでもみられる。例のサリドマイド児の保証金をめぐって、イギリスのディスティラーズ社と被害者との交渉が難航したときのことだ。イギリス国内での動きに呼応して、オーストラリアでも、この会社が販売している食料品とスコッチウィスキーの不買運動が大規模に展開された。私はそこで日頃酒を買っているなじみの店フォガッティ食料品店にでかけた。ここの若だんなのブライアンは、親しい友人の一人だった。ちなみにこの国では、主に食料品店とパブがアルコール類を扱っている。
「ブライアン、問題のスコッチをくれないかい?」
「うん、だけどケン、例の一件知っているだろう?」
「不買運動のことかい?でもあれは、買うのをやめようということで、まさか売るのもやめるというんじゃないだう?」
「でも、今日は、別のスコッチにしておかないかい?件がいつも飲んでいる例のウイスキーにさ。」
 私は、すっかり当惑している様子のブライアンを、それからかうのはやめた。ブライアンの表情には、ジョークを言うときのあのいたずらっぽい笑顔も、何にでも興味をもつ私に答えてくれるときの真剣なまなざしもなく、オロオロととまどいをみえていた。
 とにかく、不買運動の徹底ぶりにはすっかり驚いてしまった。そして場合によっては、不買運動が、不売運動になることを、身をもって知ることができた。かりにブライアンがそのスコッチを私に売ったところで、いわば外国人相手である。逃げ道はいくらでもあろう。だが、いったんみんなできめたことは、みんががきちんと守る習慣になっている。
 こういう徹底した不買運動があったからこそ、会社側もサリドマイド児に対するそれまでの態度を改めて、補償問題について、前向きに取り組み始めたのだろう。


及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 130-131.