2013年6月9日日曜日

不買運動 (1)

 あるとき、台風にともなう集中豪雨で、メルボルンとその近郊が大洪水になった。メルボルンの目抜き通りは、川となって濁流がうずまき、ABCオーストラリア放送委員会の建物も、といがあまりの豪雨をさばききれずに、天井から雨がもれ始めて、上を下への大騒動。雨水はじゅうたんを濡らしただけではすまず、オフィスからオフィスをかけめぐった。ひどい被害をうけたのは近郊の農家で、畑は一面水びたしとなり、羊や牛は溺死して水にうかび、大変な損害を出した。
 スーパー・マーケットや八百屋の店頭に並ぶ青果物は、軒並み大幅に値上がりした。受給のバランスが崩れて、いつもなら日本い比べると比較にならないくらいほど安い野菜や果物も、さすがに高値となった。一個30セント(80円)のキャベツに三倍の値段がつけられたりした。

 そんなある日、いつものスーパー・マーケットに行くと、数人のおばさんたちが入口をふさぐようにたむろしているのにぶつかった。スーパーの入口のドアには、何やら書かれたビラがはってある。
 この日私の家では、友人を招いてパーティを開く予定があり、限られた時間の中で急いで買いものをすませなければならなかった。私がおばさんたちをかき分けて、スーパーに入ろうとすると、
「ここで買いものするのは、およしなさい。ほだ、あちらに見えるスーパー・マーケットに行った方が良いですよ。」
「えっ?どうしてなんですか?」
「ちょっと、こちらをごらんなさい。ここに書いてあるように、ここでは、三本(一束)○○セントもするにんじんが、向こうでは○○セント。トマトも1ポンドあたり○○セントも安く買えます。キャベツに至っては、一個につき○○セントも違うんですよ。」
 両方のスーパー・マーケットの値段を書き上げた一覧表を、とうとうと説明し始めたのだ。説明をききながら、私はその日の朝刊の記事を思い出していた。
「そういえば、豪雨のあとの生鮮食料品の値動きを調べた記事が載っていたな・・・。たしかアメリカ系スーパーのチェーン店が、どこも、値段が一番高かったと書いてあったな・・・。このスーパーも、問題のチェーン店の一つだっけ・・・。」
 とにかく時間がなかったので、おばさんたちの言うことを素直に信じて、彼女たちが教えてくれた別のスーパー・マーケットで買いものをすませることにした。
 あとできいたのだが、他の店に比べてアメリカ系スーパーのチェーン店では、生鮮食料品がべらぼうに高く、そこで不買運動で対抗しようと、主婦たちはそのチェーン店の一軒一軒で、実力行使をしたとのこと。"おしゃもじ"こそもっていなかったが、大勢の客でいつも混雑する当のスーパー・マーケットには、ほとんど人影をみかけなかったから、不買運動はかなり徹底していたようだ。
 二日後、例の新聞は、「アメリカ系スーパー・マーケットは、どの店も、生鮮食料品の値段を妥当な線にまで下げた」ことを伝えていた。スーパー・マーケットといっても、日本のデパートの小型版と言えるほど、多くの売場をかかえているので、一部の食料品を高くしたために他の売場にまでお客がよりつかなくなったのでは、割に合わないということなのだろう。

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 127-130.