2013年1月24日木曜日

のんびりとした乗客(1)

 列車が停まってから、かなり時間が経っていた。私は、日本人の悪いくせか、いつになったら動くのか、たしかめないわけにはいかなくなってしまった。

 席を立って線路に降り、何かわめきながら台車をのぞきこんでいる乗務員らしい男にたずねた。それらしいお揃いの服をきた鉄道員が四人ほどいた。

「どうしたんですか?」
「私は知りません。調べてみないと...。」
「もう、三〇分以上経ってるし、まだ何も判らないんですか。」
「とにかく、私には判りません。」
「じゃ、いつ発車するんですか。」
「その質問にも、私は答えられません。」

 こんな答えが返ってくるときは、いくらねばっても何も聞き出せないことは、経験的に判っていたので、これ以上たずねるのはやめにした。

 とにかく、オーストラリアでは、はっきり判るか、まったく判らないかのどちらかで、あいまいな答え方をしないのだ。どんなに親しい間柄でも、自分の答がいいかげんであったために、先き行き相手に迷惑をかける―特に金銭的な損失を与える場合はなおさらだが―おそれがあるような質問には「自分は多分こうだと思うが、専門家に確認してくれませんか。」と付け加えるのが普通だ。

 私たち日本人ならば、そんなことを言ってつき放したら『冷たい、不親切なヤツだ。』と思われてしまうのを恐れて、少々あいまいな知識でも、つい断定的に教えてしまいがちである。オーストラリアでは、自分の言ったことに対してきびしく責任を追及されるのに、日本では間違いはよくあることだと、見逃してくれることの方が多い。

 一見不親切で、責任のがれとも受けとれる乗務員の答え方のうらには、こういう私たち日本人とは根本的な違いがあるのだ。


及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 51-52.

2013年1月3日木曜日

あわや大事故に(4)

 彼は、私のうしろの席へと移って行った。若い母親の腕の中で、赤ちゃんはとっくに泣き止んでいたが、血の気を失った母親は、まだ緊張でふるえが止まらない様子だった。右手に持ったミルクビンには、ふたがない。ショックで素っ飛んだらしく、ミルクが、若い母親のスカートと座席を汚していた。彼は、若い母親から赤ちゃんをそっと抱き上げると、


「男の子?それとも女の子?何ヶ月になるの?良く太っているね。名前は?」
「ピーター・・・。」

 やっと、母親がかぼそい声で答えた。

「そうピータって言うのかい?おじさんはね、ピーターっていう友達に合いに行って来たんだ。さっき、駅で見なかったかい?おじさんのこと見送っていただのがピーターなんだ。ピーターという名前の男はね、みんなハンサムで頭のいいヤツばかりなんだ。坊やも、きっとハンサムで優秀な人間になるぞ。」

 その言葉で、母親の顔にもやっと生気がよみがえってきた。さっきから心配そうにこの母子の様子を見守っていた周囲の人々から、

「私もピーターというんだが、どうです、ハンサムでしょう・・・」とこれはかなり年老いたピーターさん。

 どんな顔がハンサムか日本人の私には判定がむずかしいが、周囲がどっと笑い、ピーターじいさんが照れ笑いをしているところをみると、例外に入るピーターだったようだ。
「私が若い女性だったら、間違いなく、この場で、あなたに結婚を申し込んでいただろうよ、美しいピーターさんよ。」カウボーイ姿が、早速切り返した。

 こうして彼は、私たちの車両内のあちこちに笑いを創造し、まきちらして、その巨体を再び一般の客席に沈めた。それで「あの人は、鉄道関係者ではないだろう。」と教えてくれた隣りの若い男の乗客の言葉が正しかったことを知った。つまりごく当たり前の乗客の一人だったのである。

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 50-51.