2013年3月25日月曜日

人間教育(1)

 例のボブの息子アントンは、いかにも末っ子らしく、甘えん坊でわがままだ。長女のフィオナと長男のヒューゴがとても良い子なだけに、ボブ一家の”問題児”だった。事実、両親や姉、兄たちも、アントンがぐずり出すと、「アントンの病気がまた始まった、仕方ない。」というような態度で、アントン君をみていた。

 ところが、春休みに入る直前に、父親のボブが、「アントンは、まもなく良い子になるだろうよ。」と、小さな声でこっそり私に言ったものだ。そのとき私は、いったいどういうことを言おうとしているのかさっぱりわからなかった。

 学校が休みに入った。早速ボブとジョイは、アントン君だけを連れて、シドニーとキャンベラへ、一週間の自動車旅行に発った。

 やがて、旅を終えたアントンは、また我が家へちょくちょく顔を出すようになった。結論から先に言うと、アントンがすっかり大人びてしまったのだ。時にはおもちゃをめぐって私の子と熱い戦いにまで発展することもあったというのに、旅行以後というもの、まったくそういうことがなくなってしまった。それどころか、私の息子の”挑発”にも全然のらないのだ。どちらかと言えば、私の子はアントンの兄のヒューゴとよくうまが合う。それというのも、アントンはベイビイみたいだという点で両者の見解が一致していたからだ。

 私たち夫婦の間では、アントンが急に良い子になったことがたびたび話題になっていたが、そのうち私の子まで、「アントンがちょっと変だよ。とても良い子になったみたい。」と言い出し始めた。次にボブに会ったときに、早速たずねた。

「ボブ、アントンはずいぶん変わったね。すっかり良い子になったみたい。君が言った通りに・・・。」

 アントンが何故急に良い子になったかを解く鍵が、例の例の一週間の自動車旅行にあったのは言うまでもない。

 ボブに根掘り葉掘りきいてみると、一週間、アントンに自分たちと一緒に行動させながら、社会人としてみにつけなければならないことがらを、そのつど、身をもって教えたというのだ。日本でいえばはしのあげおろしから、ホテルで守らなければならないエチケット、目上の人に対する応対の仕方、はては、音楽会でのマナーに至るまでだ。つまりアントンは、家を出てから再び家に帰るまでの七日間、二人の先生から、起きてから寝るまで、しつけと言おうか、あるいは社会的規範に適合させるための教育と言おうか、道徳教育と言うべきなのだろうか ー あえて人間教育という言葉を使うが ー 人間教育を、実際に即して徹底的に教えられたことになるわけだ。さすがのアントン君も変わるのが当然と言える。念のためにきいてみた。

「フィオナとヒューゴも、アントンと同じように、旅行に連れて行ったの、ボブ。」
「もちろんさ、それぞれ別に連れて、やはり一週間ほど旅行したよ。この春休みにはフィオナは一人で飛行機に乗せてシドニーにいる友人の家に行かせたし、ヒューゴは、ボーイ・スカウトのキャンプに参加させたよ。二人とも、新しい経験をしながら、生きる上で大切なことを学んで来たと思うよ。」

 ボブの話を総合すると、フィオナとヒューゴには、すでに人間教育の基礎をマスターさせているので、今度は、他人の家庭やボーイ・スカウトのキャンプでの集団生活の中で、人間教育のいわば”応用編”を、学ばせようとした訳なのだ。それも、単なる思いつきではなく、一年も二年も前から計画を立てていたのだ。そういえば、この国の鉄道の切符は、一年前から予約できるシステムになっているが、これもやはり、何事も早くから計画を立てて行う国民性に関係があるのかもしれない。

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 118-120.

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