2013年2月21日木曜日

メルボルン・カップの混雑(1)

「ケン、それはそれはものすごい人が集まるのよ。どうしてあんなに混むところへ行こうというの・・・。」
「でも、外国からわざわざ来る人もたくさんいるっていうのに、せっかくメルボルンにいながら、メルボルン・カップを見ないで帰るなんて、もったいないじゃない?少しぐらい、混雑しても・・・。」
「あなたは、ご存知ないからそんなのんきなことを言っているけど、少しどころじゃなくて身動きできないほどなのよ。」

 ジョイは、本当にあきれたと言わんばかりに目を丸くして、両手を広げる得意のジェスチャーをしてみせた。

 私は、メルボルン・カップの主催者に当たるヴィクトリア競馬クラブのメンバーのビルから招待状を受けとったその足で、ボブ一家はどうするのか、行くなら一緒にしようと聞きに行ったのだ。

 十一月の第一火曜日は、メルボルンカップ・ディだ。「世界四大競馬」の一つで、1861年に第一回が行われて以来、第二次大戦中もとだえることなくつづけられた伝統のレースであり、この日メルボルン郊外のフレミントン競馬場は、十万人の人手で賑わう。学校や会社なども休み。競馬のために休日が設けられているあたり、さすがオーストラリアだなと思うのだが、競馬のことはまったく判らない私でも、世界的に名の知られているこのレースだけは見逃したくなかった。ましてメンバーのビルからわざわざ招待されているのだ。

 やがて、オフィスから帰ったボブを交え”三者会談”が始まった。その結果、あくまでも人混みはごめんだというジョイは子供たちと家に残って、私の子供も含め、みんなでプールに行くことになった。一方、ボブと私たち夫婦の三人は、ビルの招待に応じてメルボルン・カップの方に行くことにした。

 いくらオーストラリアでも、自家営業でもなければ、夫婦単位で仕事をすることはまずないが、仕事を除けば、あとは何事も家族単位、夫婦単位で行動するのが普通だ。ジョイが、ボブと別行動をとるというのは、正に”異例のできごと”なのだ。メルボルン・カップ・ディの人混みは、よほどのものに違いない。『ジョイは、ものすごく混雑すると言っているが、東京の満員電車のように、レースが終わるまで競馬場に入ったときのままの姿勢でいなければならないのかな?うしろ向きになったら、いったいどうなるんだろう』と、私はどのくらい混雑するものか、レースそのものをみるより、人混みをみる方に興味が湧いてきた。

及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会  pp. 61-63.

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