再び車内に乗り込もうと、外を歩いていると、プーンとアルコールのにおいが漂ってくる車両にぶつかった。
『そうだ、ビールでも一杯ひっかけよう。』ラウンジ・カートおぼしきところにのりこんだとたん、ビールの匂いがひときわ強烈になった。
無理もない。ラウンジ・ルームはビールの大洪水・・・。そのビールのプールにこわれたコップがいくつか浮いていた。
『これだけありゃ、一年ぐらいはたっぷりのめるかなぁ・・・。』
『そりゃあ、無理だよ。この暑さじゃあ、蒸発するのが早いから、大急ぎで飲んでも二、三日でビールは干上がっちまうよ。』
『そんなことしたら、胃がいかれてしまうしさ・・・。』
『でも、こんなにスボンや靴下にビールをのませたのは初めてさ・・・。』
例によって、出来上がった紳士たちが、ビールを含んだズボンの裾を見やりながら、ワイワイガヤガヤ。床はジャブジャブ・・・。
私は、床に漂うビールの匂いに酔いながら、一生懸命ラウンジ・カーのつんざくような話し声、笑い声から逃れていた。
『どこか違っている。これや、どこか変だぞ。』
どうして、乗客はこうやってのんきに冗談を言い合っているのだろう。何故怒らないのだろうか。靴だってズボンだって、ビール漬けにされたのだ。コップで手を切ったのか、中には血がにじんだハンカチを手に巻いている人もいる。
仮に日本でこんなことがあったら、乗務員はたちまち乗客に取り囲まれて、ことと次第によっては、一騒動起こるのは必至だ。
まして乗務員が、うっかり『わたしは知らないよ。』などと言おうものなら、腕の一本や二本へしおられないまでも、乗客の怒りに火をつける結果になる。ところがここでは、乗客が乗客のご機嫌をとって歩く。ちょっと想像もできない。
オーストラリアに来て、二年近く経って、少なくともオーストラリア人の「鷹揚さ」や「助け合い」の心については、かなり理解していたつもりだが、こういう異常時にも、いつもと変わらぬ態度をとることができるとは、ただただ驚くばかりであった。
ビールの無料酔いで、フラフラしながら、自分の席に戻ってさらに二〇分、汽笛一声、大平原の中に笑いを残して、列車は再び走り始めた。
「あのときは、てっきりダメだと思った。こうして元気でいられるのが不思議だ。みんながお祈りしたからだ・・・。」
終点のパースに着くまで、赤茶けた大平原で起きたあのできごとが何度も人々の話題になった。まかり間違えば、大惨事にまきこまれていたかも知れないような恐ろしい出来事の中で、ふだんと変わらない余裕をもてる人間がいたことは、私にとっては驚きとしかいいようがなかった。
及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会 pp. 53-54.
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