「今年の夏休みには、孫のロビン(ボブの弟の娘)を連れてシドニーまで汽車旅行をするんですよ。今から楽しみで楽しみで・・・。去年はフィオナを連れて行ったので、今年はロビン、来年はヒューゴと一緒に旅行するつもりです。」
子供の両親だけでなく、おじいさんやおばあさんも、孫たちのために早くから旅行を計画しているのだ。その旅行も、単なる年寄りのつれづれのためでないことは、話をきいていればすぐ判る。一つには、ボブの両親の場合、引退したとはいえ、成功した実業家だったせいで、経済的にゆとりがあるからでもあろう。
だが、ボブも、その弟のジョンも、父親と同様、単なる実業の成功者ではなく、人間的魅力にあふれている。彼らは年老いた両親のために、パース市内で一番良い病院の一番眺めが良い部屋に、いつでも入院できるよう、予約しているほどやさしい兄弟だ。だから、私からみれば、孫の教育は、それぞれまかせておけば十分だと思えるのだが、やはりあらゆる機会をとらえて、できる限りの人間教育をしておこうというのだろう。
両親と祖父母とでは、生活体験に違いがあるのだから、子供が学ぶ範囲はぐっと広がるはずだ。判りやすく言えば、子供の両親に限らず、おじいさんやおばあさん、両親の友人、隣りのおばさん、公園の手入れをしている人、パンを配達するおじさん・・・とにかく、国じゅうのみんなが、次の世代を担う子供たちに、行きて行く上で必要なこと、大切なこと、守るべきことを教えていることになる。
及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会 pp. 120-121.
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