「男の子?それとも女の子?何ヶ月になるの?良く太っているね。名前は?」
「ピーター・・・。」
やっと、母親がかぼそい声で答えた。
「そうピータって言うのかい?おじさんはね、ピーターっていう友達に合いに行って来たんだ。さっき、駅で見なかったかい?おじさんのこと見送っていただのがピーターなんだ。ピーターという名前の男はね、みんなハンサムで頭のいいヤツばかりなんだ。坊やも、きっとハンサムで優秀な人間になるぞ。」
その言葉で、母親の顔にもやっと生気がよみがえってきた。さっきから心配そうにこの母子の様子を見守っていた周囲の人々から、
「私もピーターというんだが、どうです、ハンサムでしょう・・・」とこれはかなり年老いたピーターさん。
どんな顔がハンサムか日本人の私には判定がむずかしいが、周囲がどっと笑い、ピーターじいさんが照れ笑いをしているところをみると、例外に入るピーターだったようだ。
「私が若い女性だったら、間違いなく、この場で、あなたに結婚を申し込んでいただろうよ、美しいピーターさんよ。」カウボーイ姿が、早速切り返した。
こうして彼は、私たちの車両内のあちこちに笑いを創造し、まきちらして、その巨体を再び一般の客席に沈めた。それで「あの人は、鉄道関係者ではないだろう。」と教えてくれた隣りの若い男の乗客の言葉が正しかったことを知った。つまりごく当たり前の乗客の一人だったのである。
及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会 pp. 50-51.
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