私は、夕方のメルボルンの中心街を散歩するのが大好きだ。東京の騒々しさが、体にしみついているのだろう。ここでの毎日は静かすぎてどうにも落ち着けない。馬鹿げた話だと思いながらも、知らず知らずのうちに騒音を求めている自分に気付く。
メルボルンが年寄りと、僅かな観光客だけの"眠れる街"から目覚めるのは、朝の出勤時間と昼食時、そして退勤時の三回だと述べたが、中でも夕方は、ひときわ活気にあふれる。市電も次から次へとやってくるし、車も信号待ちするほどふえる。だが、メルボルンが目覚めている時間は短い。ものの30分から40分もすれば、また元の静けさに戻ってしまう。だから、もたもたしていると、期待する騒音に逃げられてしまうことになる。
メルボルンの美しさの一つは「雲」である。午後から、黒いというよりは濃い青味がかった雲が広がったかと思うと、アッという間に大粒の雨が降り出し、ごていねいなことに、まことに豪快な雷、さらにひょうまで降る。だが、いまは雨は降っていない。ところどころに黒い雲が浮かんで墨絵のような美しさだ。
目抜き通りに出ると、まずネオンが飛び込んでくる。空が薄暗いせいか、街全体が灯りの中に浮かんでみえる。コリンズ・ストリートとエリザベス・ストリートが交差するメルボルン一の賑やかな交差点に近づく。
オフィスから、サラリーマンが洪水のように飛び出してきて道を埋める。いつもは、悠々と歩く彼らの足取りが何故か気ぜわしい。ぼんやり歩いていたら、人にぶつかってしまう。『そうだ、この感じだ。やっと、都会らしい雰囲気になったぞ・・・。』
「ヘラルド、ファイナル!!ヘラルド、ファイナル!!」
ジーンズのよく似合う、ちじれっ毛の小学生のテナーがきこえてきた。「ヘラルド新聞の最終版ですよ。」と呼びかけている新聞売りの少年だ。
及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会 pp. 132-134.
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