私は、あらためて自分のことを考えてみた。オーストラリアの友人たちの影響を受けて、この国の平均的亭主族と同じようにふるまっていたつもりが、それも"清水の舞台"から飛び降りるような一大決心を何度もしたあげくなのに、やはり私は正真正銘の日本人だったのだ。あくまでも、オーストラリアン・ハズバンドを装ったにすぎなかったのだ。『体がきついから、女房にもってもらおう。』こう思いついたときから、私は日本人そのものに戻っていたと言えるだろう。二日酔いの頭の中で、突如チャンネルが"日本回路"につながってしまったのである。
それにしても、オーストラリアン・ハズバンドとは、何ときびしく、しんどいものだと、つくづく思ったものだ。
「世界一休日の多いこの国では、何かやっていないと、退屈して困ってしまうからだ。」たしかにこういう見方もあろう。ヨットやボートを作ったりするのは、きっと楽しいことに違いない。だが、いくら譲歩したところで、皿洗いが楽しいはずはないと、私の日本人的感覚は叫ぶ・・・。
だが、私があるパーティの席で聴いた亭主族の告白を紹介すれば、オーストラリアン・ハズバンドたちの本音、少なくともその手前くらいまでは、判っていただけると思う。その前に、『家族よりも仕事が大切だ』と話す人や、『オフィスを出たら仕事の話はしない』というこの国の通説をくつがえす人にはついに出会ったことはなかったことをつけ加えておこう。
及川甲子男 (1975) 「メルボルン・ノート」 日本放送出版協会 pp. 25-26.
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